はなし

いま書かなくてはならないはなし


わたしは小さい頃から盗み癖があった

わたしの生まれた土地はお金持ちが凄く多い家庭で、周りはみんなブランドのお洋服を着たり、可愛いシールとかをたくさん持ってた


うちは庶民より少し下の層で、母は足に障害があった

父は全然帰ってこない人だったと記憶してる


洋服は生協で買ったへんなズボン。

スカートを履いた記憶がない

キュロットはあったかな。

私は姉よりも妹よりも、誰よりも物欲が異常で

買い物に行ったらたくさんたくさん欲しがる子供だった。


1度、母と父と買い物に行って

父がわたしのおねだりに負けて小さな魚型のメモ帳を買ってくれた。

母は家に帰るまで、それを知らなかった。

家に帰ってそれを知った母が、私に言ったことを今でも覚えている。


「お前と一緒に買い物に行くと、必ず何か買わなきゃいけなくなる。もうお前は買い物には連れて行かない」


それ以前にも

セーラームーンの人形、

ファミレスのカウンターで売っているポシェット

たまごっち

たくさんねだったきがする。


叶えられない欲望は、

小4の時通っていたピアノ教室に向けられた


そこにあったシールや、カレンダー

ピングーだったかな

 勝手に盗んだ。


小学生がそんなもの持っていたら、すぐにバレる。


それから母は私をつねる、叩く、無視する、ようになった

 

それ以前の記憶でも、お風呂に頭を沈められたり

押し入れに閉じ込められたり

家から締め出されて、近所のお金持ちのお家に招かれていたら、母が恥をかかせるな、と迎えにきたことがあった。

恐ろしかった。


物を盗んだことでたくさんの暴力をうけたのは、当然のことだと思う

母も悩んだのだと思う

「欲しいものがあったら言いなさい、できる限りは聞きます」と言われた。

 でも、私がその時欲しかった言葉は、

「愛しているからそんなことはするな」

これだけだったと思う。


私は、暴力が嫌になって、ある日突然家出する。

大好きだったシベリアンハスキーのぬいぐるみと、大好きだった漫画をほぼ全巻、バッグに詰めて。


五反田まで歩いた。


昼かな、昼から番まで、

小さなお弁当屋さんの前に立っていた。

お弁当屋さんのおばさんに、シッシッ、ってされたのを覚えている。

それで困って、近くの植え込みで漫画を読んでいた。


お弁当屋さんが閉まってから、

シャッターの前で途方に暮れていた

そうしたら、知らない綺麗なお姉さんが

「朝もここにいたけど、何してるの」と声をかけてくれた。

私は涙が止まらなくなって、泣き続けた。


お姉さんは、うちにおいで、と言ってホカ弁でお弁当を買ってくれた。

今思えば、なんて優しい人なんだと思う。

お姉さんのマンションに行った。

小鳥を飼っていた。

お姉さんは男の人と同棲しているらしかった。

家の電話番号を聞かれた。

全部言った。


警察に捜索願いが出ていた。

お弁当を食べて、少しだけしか食べられなかったけど、泣いた。

お姉さんが何か優しい言葉をかけてくれて、無理して食べなくていいよ、と言ってくれた。


パトカーが迎えにきた。

お巡りさんが運転して、

私は後部座席に座った

おじさんのお巡りさんが

「何で家出なんかしたの?」と聞いた

私は何も言えなかった。

そうしたら、お巡りさんが

「言えるわけ、ないかぁ」と言ってくれた。

また泣いた。気がする。


家に帰った。

多分、幼馴染の家族も探してくれていた様だった。

母は「もう、どっかの家のタンスに死体で包まってるかと思った」と言った。

そうなるかもしれなかったのだから、私は運がいい。


父もきっと、

同じようなことを言うのだと

思った


父は帰るなり、号泣した

「良かった、本当に良かった」と言って泣いて、私を抱きしめた。


家出をする前、母が

父の会社からの電話をとったことがあった。

母は電話を切ったあと私に向かって

「お父さんは、あんたが心配で会社で吐いたんだよ!!」

覚えている。


父は毎朝、私を公園まで散歩に連れて行ってくれた。

カロリーメイトを食べた。


私は幼稚園の頃、よく父に肩車されて、幼稚園近くのスーパーで

カバヤのネックレスやアクセサリーがついたお菓子を買ってもらった。


いろんなことを忘れたけど

覚えている。

すごくすごく、嬉しかった。

アクセサリーなんて、すごく嬉しかった。


私は今、死にたいと思っている

親を憎んでもいる

でも、仕方なかったとも思う。


私がいけなかったのだ。